あしあと
またブログを書くことにした。
昔は、抑圧されて型に押し込まれて、そんな自分が感じる矛盾とか息苦しさとか、抜け出したいけど無理っていうしんどさを言葉にすることにひどく酔っていた。そういう自分の言葉が美しいのだと心から思っていた。
今、ぼんやりとだけど目指すところがあって、そこにたどり着くためにたくさんいろんなものを捨ててきた。私はどんどん身軽になって、たくさんいろんなものを掴もうと手を伸ばして失敗してその度強くなった。いまの私は、無敵だ。傷つくことが怖くない。幸せになるために手を伸ばして失敗することが傷つくことなのだとしたら、いくらでもやれる。私は目指すもののために強くなれたのだ。
このブログは私と前付き合っていた彼氏が自分の気持ちを整理する為にほんの数週間だけ使っていたものである。読み返したら、本当に愛されていたことを思い出してちょっとだけ泣けた。でも、私には捨てなければいけない理由があった。わかっているようでわかっていないことをたくさん私は口にしていた。本気になって初めて、わかったことだ。もしかしたら未来の私がお前は全然わかってないよと言っているかもしれない。若くて、未熟な私がたまらなく愛しい。これからどんどん夢を形にしていく自分の未来がたまらなく愛しい。誰の為でもなく自分の為に今の自分を遺していきたい。
無駄な影響を受けすぎ
悪い癖だね
なおさないと。(笑)
ものをなにも考えず無神経に心無いこと言われるとむきになってしまう、、、(笑)
言い争って同類にはなりたくない
今までを振り返ります。
就活はじまった当初、自分は異様なまでの大手病にかかってて、、、
なぜかというと、もちろん自分の自己満足感を満たすためとか
見下されるのが嫌っていう反骨心からでした。
そんなくそな状態はyukちゃんに直してもらいました照
てなわけで、大手病を克服してからより真剣に進路について考えるようになりました
その結果SE職を希望するようになりました
なぜ自分がSEを志したかというと、、、
まず、これから先どの企業がいつつぶれるかわからない
だからこそ、自分で力を蓄えな生きていけない
企業におんぶだっこされて営業やってるだけではいつかだめになるやろなーって
だからこそ〇〇(企業名)に属している自分ではなくSEの自分として
生きていこうと考えた。
個人的に自分が人事だったら企業名にしがみついてるの絶対とりたくねーって思ったし(笑)
こういった決意でした。
でも内定が近づくにつれて自分は矛盾した行動をとってました。
年収とか離職率とか福利厚生とか、、、、、、、(笑)
自分が以前考え抜いて出した結論とはちがうね(笑)
これは良いことなんだか悪いことなんだか
とりあえず恵まれたことにまだまだ就活の時間もあるんでそこらへん真剣に考えていかないとなって思いました。。。
それと内定は別にゴールじゃないってことも就活にあつくなりすぎてる自分に言い聞かせます。(そんな現時点でたくさん内定あるわけではない)
最後に、、、、
単に中小受けてるからって大手が通ってないわけじゃねーよwwって
スルーしつつ心の中でそう思っときます
ではでは
所有物
いっしょに住んでいると喧嘩ばっかになるのに、家を出ると急に親と仲良くなるって話をよく聞くけど、もう20歳も超えるし、誰かに所有されるにはトラブルが増えすぎるぐらいこうしたいが増えていく歳なのかもしれんなあって思うけど、それとは真逆になるけど恋人とは結婚を考えたりする人もでてくる歳で、結婚っていうのはなかなか不思議だなって思うよね。まずどちらかの姓を名乗るのが不思議。所有の表しって感じるよね。そう言いきってしまうと気持ち悪いんやけど、恋人って他人と所有者のあいだにある立ち位置になったりして、何かを履き違えると思い通りにしたくなってしまうんだなあ、そしてその関係はほんとに危ないなって思う。ひとりとひとりの付き合いにしていくための尊重って意識して大事にしていきたいなあ
おなかすいた
イライラせず生きていきたいのに、イライラする点をわざわざ見つけだして「それ間違ってます!」って指摘して変えていく団体をつくる怖さはやっぱりある。みんな好きにやればいいって思うけど、それだとつらい思いする人がいるからなあ。環境のせいにして過去の自分にコンプレックスを持ち続けて結局そこでなにもしない人ってめちゃめちゃかっこ悪いなって思って、でもわたしはコンプレックス持たないように環境をどうにかしたいって思ってるわけで、こんな環境だとコンプレックス持ってしまう人がいる、だめだ!っていう視点が絶対あるし、自分の意見でさえすでに矛盾がおきてるしもう自分なんて直感でもの言ってるだけみたいな気がしてきたんだけども。ラーメン食べたい。
死ぬってこと
桂米朝さんが亡くなって、その亡くなり方が綺麗だった、と改めて終活が話題になって、それを推し進めるかのように、こんな風にはならないようにしようね、と言わんばかりにテレビで無縁仏の特集をやってた。誰も供養してくれる人とか縁者がいないお墓が増えてて、置き場に困ったお墓を固めてひとつの場所にぎっしり敷き詰められてる映像が流れてた。荒れた墓場にあるお墓のひとつには「来てくれたの、ありがとう」って彫られてた。
それがどうしても忘れられなくて、死んでもきっとその人には会いに来て欲しい人がいたんだろうなって、その人はどうしてるんやろうって思うとつらかった。わたしは死んだことないから、死んだあとどんな気持ちなのかなんて知らないけど、次お墓参りをするときはわたしもちゃんとありがとうって言いたい。わたしを生んでくれた縁にありがとう。
「来てくれたの、ありがとう」のお墓に眠ってる人の来て欲しかった人も、もしかしたら亡くなって天国で仲良くしてるかもしれへんなあって、お母さんに話して落ち着いた今は思ってる。
悔しさをモチベーションに!!!
そう思われてる時点で事実なんやけど、
やっぱりそう思われるのほんとのほんとに悔しかったから前向いてやるだけです!
(自分に対する勝手なイメージが独り歩きしすぎている感がつらかった。)
あーーーーーーーーすっきり(わずかに笑)
ではでは(^○^)
おばあちゃん
あさってから特別養護老人ホームに行くことになるおばあちゃんとおうちで最後のご飯を食べました。二世帯住宅で一階に住んでるおばあちゃんとはいっぱい思い出があって、おばあちゃんが大切にしてたそろばんなくしたり、(たぶんあれはしゅうとくんに盗られた気が今でもしてるけど)、お仏壇のほうに足向けて寝たり、おばあちゃんのこと怒らせるようなこといっぱいしてきたけど、でもいっぱい遊んでくれて大好きなおばあちゃんでした。中学生になって忙しくなってから、前ほどはおばあちゃんのところに行かなくなって、おばあちゃんも足が悪くなって家から出たがらなくなって、お母さんが介護をし始めてからおばあちゃんからお母さんの愚痴を聞かされるようになって、お母さんもすごくすごくがんばって介護してるのにおばあちゃんはすごくひどいことをお母さんに言ってて、でもやっぱりわたしはおばあちゃんのことも好きで、すごくつらかったなあ。おばあちゃんが服買いに行けないから、わたしがお店の人に頼んでお金をおいて持って帰らせてもらって、おばあちゃんに選んでもらったりけっこう尽くしてたのに、わたしがプレゼントした服ボロカス言われたりして泣いたり、けっこうそこらへんから苦い思い出になっていった。でも、おばあちゃんが、「味方はゆうきちゃんだけやわ」って泣くから、ゆうきだけは味方でいてあげてねって言われて、話を聞くだけで介護もせず、泥をかぶらずにいい人でいるのがまた少しつらかったりもした。でもたぶん誰かが楽とかじゃなくてみんなしんどかったんやと思う。
高3になって受験生で、勉強を理由におばあちゃんに挨拶もしにいかんくなって、大学生になっても忙しいふりしてどんどん体が動かなくなっていくおばあちゃんから目を背けてて、わたしは介護の仕事をしてるのにいちばん身近にいる人に目を向けれないなんて最低やなって自己嫌悪になったりして、
ようやく最近ちょっと会いに行けるようになったってところで、老人ホームの枠があいて、それを聞かされたのが昨日で、あさっておばあちゃんは行ってしまう。もちろん死ぬわけじゃないんやけど、おばあちゃんと笑ってしゃべってたのはたったの数年前で、意外と1年って長いんやなあって思ったし、時が経つのってほんまに早いなあって思うと、なんか涙が止まらんかった。わたし、すごい思うけど、忙しいなんていいわけで、もし会いたい人に会えないぐらい忙しいならそれは環境が間違ってるんやと思う。もし、まったくおばあちゃんに会いにいかないまま行ってしまうことが決まってたら一生後悔してたと思う。
おばあちゃんはもう今は意識もあんまりないけど、わたしが顔を近づけたときだけ必死に何か話そうとしてくれる。時間がたってもわたしのこと大切に思っててくれてるんやなってほんまに嬉しい。
少し会うのに時間がかかる場所に行ってしまうけど、ちゃんと会いに行きたいと思う。絶対に。
忘れないように
おばあちゃんありがとう。だいすき。